なぜ苦しみを手放せないのか?

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苦しみを手放すのは、なぜ必要なのか?

私たちはなぜ、
苦しみを手放すのが難しいのでしょうか?

苦しみを手放すことが難しいのは
苦しみがあなたをサポートしてくれている
と信じ込んでいるからかも知れません。
努力すれば何とかなると言う信念が有るのかも知れないのです、
ある時点までは必要なのですが、
しかし努力しても努力しても、
進化しない、
いやむしろ重荷になってきていると感じるポイントがやって来ていたら、
それ以上進むのには、
努力を手放す必要があるのかも知れません。
もはや、努力が障害になってきているのかも?
努力する役目が終わったのかも?

努力を手放すのが撫ぜ難しいのか

なかには、
苦しみは必要以上に努力することだったり、
苦しむ(努力する)ことで自分が望んでいることを得られると
無意識のなか深くに刷り込まれていて、
努力することに執着を持っている場合もあるようです。

要するに
苦しみを落とすことは
努力を落とすこと

言い替えるならば
苦しみ(努力)に対する執着を落とすこと
のようです。

努力(苦しみ)を落とすことに対する恐怖

努力(苦しみ)を落とすことに対する恐怖とは何なのでしょう。

自分が望んでいるものが手に入らないかも知れない。
努力以外の方法の他の手だてを知らない
努力することに依る充実感をなくしたくない
努力することが好きだ
少なくとも何かをやっている感じがする
続けていればいつか望みが達成されるかもしれない
自分の人生を投げ出すようで . . . . .
自分が何でもない(誰でもない)人になってしまいそうで . . . . .
折角の今までの努力が水の泡になってしまいそう
自分を感じられなくなってしまいそうで . . . .

努力のなさをハートの受容性のなかで受け入れてみましょう。

努力を手放すことで
未だかってないほどの気楽さと寛ぎを感じるかも知れません
この寛ぎや気楽さ軽さは過去とのつながりがなく馴染みがないかも知れません
しかし、寛ぎや軽さ、気楽さを受け入れられないかも知れません
何んでもない自分を受け入れられないかも知れません
掴まるものが無いような感じを受け入れられないかも知れません

これらをハートの受容性のなかで受け入れ受け取ってみましょう。
努力を落としたとしても、必要なときにはいつでも、
努力することを使うこともできます。

恐れがあることにも
空っぽであることにも
それらに「OK」を出すことで本当は努力を落とすことの意味が何であるかを
リラックスして体験してみましょう。

自分のハートを空っぽにして天の意志にハートを開いてみましょう
そして、
自分に何が起こるのかを天を信頼して見ることもできます。


恐れがあることにも
空っぽであることにも

それらに「OK」を出すことで本当は努力を落とすことの意味が何であるかを

リラックスして体験してみましょう。

自分のハートを空っぽにして天の意志にハートを開いてみましょう

そして、
自分に何が起こるのかを天を信頼して見ることもできます。

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